皆さまこんにちは。
今日は4月3日。久しぶりにブログ登場しました経理部のおしずコト岡﨑紫津子です。
昨年度はブログへの気力を使い果たし自分の当番を何度も何度もすっぽかしチームは惨敗。
みんなに迷惑をかけてしまいました。
今年度はブログを毎月ちゃんと投稿し、新チームのみんなに迷惑をかけないことをここに宣言いたします。
さて、本日のブログでは、弊社の会長が綴っていた記録をまとめた冊子を高知新聞朝刊で取り上げていただきましたのでそのことをご紹介したいと思います。

まずは私のブログで度々登場する弊社会長:岡﨑洋一郎の紹介をさせていただきます。
昭和14年2月3日に高知県安芸郡芸西村で生まれた現在86歳。
知識が豊富で本を読むのも書くのも大好き。
人に会ったら「ハローハロー」とあいさつするお茶目なおじいちゃんです。
自分の部屋や416オフィスはお客様をお迎えするスペースもなく、本や資料で埋め尽くされています。
高知工業高校を卒業後、地場の猟銃企業ミロク製作所に長年勤務。
1995年4月に56歳で高知市議会議員として初当選。
その後、4期16年間、72歳まで高知市議会議員として活動させていただきました。
議員としての仕事だけでもかなり忙しそうな毎日でしたが、地元大津のことは率先して参加。
他にも会や団体の役員や世話役をいくつも任せていただいておりました。
趣味のクレー射撃では国体で監督として優勝をいただいたこともあります。
全てに本気で参加し向き合っていましたからきっとかなり忙しかったと想像します。
それでもわずかな隙間時間を利用して美術館やギャラリーに行き鑑賞したり、詩を詠んで投稿したり本にしたり。
季節ごとに花を植えたり。フットワークがものすごく軽く、とにかく動いていないときはありませんでした。
県内外出張に行くことも多く、そのたびに手紙を書いたり、高知の特産物をお贈りしたり。
会長自ら漬けたヤマモモ酒は皆さんに喜んでいただいておりました。
《家ではヤマモモ酒の入った瓶が増え続けこれ以上増やしたらいか~~んと注意を受けておりました(笑)》
議員を引退してからもいろんなお役をいただいていましたので80歳ころまでは家でゆっくりすることはほとんどありませんでした。
その出張の中の1つがこの「お龍祭り」だったのです。
神奈川県の横須賀市は坂本龍馬の妻、お龍さんが晩年過ごした地であります。
横須賀市大津の信楽寺にお龍さんは眠っておられ、毎年10月に「龍子墓前祭:おりょうまつり」が行われています。
龍馬生誕地の高知市と妻お龍の眠る終焉の地横須賀市との歴史的な縁に基づいて深め合うこの交流。
2003年から2024年と議員を引退した今でもできるだけ参加をし、その時々に綴っていた記録を今回冊子としてまとめました。

ご存知のとおり「坂本龍馬」は日本の生んだ偉大な人物であり、我が国の夜明けをもたらせた維新の英雄であります。
その龍馬に自らの危険を顧みず刺客の来襲を知らせて難を防いだことも有名なお話です。
私くらいの年代の方は、高知県の酒造メーカー「土佐鶴」のCMでそのシーン[寺田屋騒動]が使われていたのを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
画質は良くないですがどうぞ懐かしいCMをご覧ください。
最後に、会長の作詞したこちらの歌をご紹介いたします。
【おりょう哀歌 作詞 岡﨑洋一郎】
一、
ゆれる時代の軋みの中で
京で結んだ赤い糸
土佐の男のやさしさ強さ
国の明日へ命をかけた
惚れた女を残したままに
あぁ~わての竜馬はもういない
二、
一年足らずを過ごした土佐と
離れる心を決めました
妹と縁ある和喰の浜で
燃やす手紙の炎を見つつ
断ち切る思いのせつない胸に
あぁ~わての竜馬が蘇る三、
海援隊士の絆をたより
流れて相模の横須賀へ
心の虚ろは埋まらぬままに
あなた無き世を偲んで生きて
飲めばお酒と汽笛が呼ぶか
あぁ~わての竜馬の声がする
どうですか。なかなか良い歌だと思いませんか。
じーーーーん(;ω;)ときたおしずでした。
本日のブログ、最後までお読みいただきありがとうございました(#^^#)/