笑う門には福きたる『笑顔の観覧車』を回し続けたい

こんにちは。毎月2日、ブログ担当の「おしず」こと岡﨑紫津子です。
毎月のブログ当番があっという間にきて、ついに今年最後のブログとなりました。
本日も日付が変わるギリギリの投稿となりそうです。

短い秋があっという間に過ぎ、もう12月ですね。
紅葉もとってもきれいでしたが皆さまはどんな秋を過ごされましたか?

私はいつもと違ってとにかく動いた秋になりました。

今年は弘法大師空海さまの生誕1250年。
11月初旬には弘法大師聖地、高野山に行き、1200年を超える歴史、街並みと修禅の場で初めての宿坊体験をしました。
標高1000mの高野山の紅葉は見ごろで、とても美しかったです。

和歌山県の高野山は、弘法大師空海(お大師さま)が、真言密教を日本に広め、僧侶が修行するための道場として、弘仁7年(816年)にお開きになられた聖地です。
お大師さまは承和2年(835年)3月21日に高野山奥之院にご入定なされ、今も人々を見守り、救い続けておられるといわれています。

四国のみなさまは、讃岐(香川県)に生まれた空海が修行を行った地として伝えられる四国八十八箇所霊場があり、お遍路さんを見かける機会も多いですし、高知県の室戸岬には空海が開眼したといわれているパワースポット「御厨人窟(みくろど)」がありますので弘法大師を身近に感じられる方も多いのではないでしょうか。

この橋の先にお大師様がいらっしゃるといわれている奥之院がありました。
ここから先のエリアは会話も控えるということ、携帯も使用禁止で、もちろん撮影禁止。
空気が一変して、背筋が伸びるというか、シャンとしました。

大門や奥之院、昼の高野山を満喫した後、泊めていただいた宿坊は蓮華定院「真田坊」。
蓮華定院は、鎌倉時代初期(建久年間1190-1199)に創建された、高野山真言宗を宗旨とする寺院で、
関ヶ原の戦いの後、真田昌幸公と真田信繁(幸村)公が仮寓していた真田家ゆかりのお寺です。

高野山ではこうしてお寺に宿坊(しゅくぼう)があり、主に僧侶や氏子、講、参拝者のために宿泊施設として利用させていただけるようになっています。

高野山には供養塔を建てられている方が多いなか、こちらの真田坊では実際納骨がされていて珍しいそうです。

食事は真田昌幸・幸村親子と一族郎党が過ごした大広間でいただきました。
何人もの方と一緒にいただくのですが、正面の方(主人)とのその距離なんと2m以上。
静かにいただかなくてはいけませんので、表情を読み取り会話しました。まるで顔芸ですね。

下の写真のように襖で仕切られたとても広い部屋がいくつもありましたが、関ヶ原の戦いの後、この空間でその時代の方々が食事をしたりお酒を飲み交わしていたのだと思うと、時代を遡りその頃の情景を想像し普段とは違った感慨深いというか不思議な感覚でした。

食事はもちろん精進料理。
動物性の食材を使わず、四季折々の“旬”の食材を活かして調理される精進料理はおもてなしの “振舞い料理”でもあります。古くから伝わる伝統的な味、盛り付けの美しさなどを味わってきました。

高野山の精進料理は、肉や魚などの生臭物だけでなく、ねぎ・らっきょう・にら・にんにく・たまねぎといった、においの強い野菜も使わないのが特徴だそうです。

もちろんアルコールはありませんでしたから、毎晩晩酌する主人は辛そうでした(笑)
普段は休肝日なんて取りませんので、この機会に肝臓を休めることができて良かったです。

お部屋は「ふすま仕切り」といい、日本画が描かれた襖で仕切られた4.5畳のお部屋で、
廊下以外の三方をぐるり隣室に囲まれていましたので、話し声や少しの物音も聞こえてきました。

物音をできる限り立てないように静かに動き、その動きはまるで太極拳。
日中かなり歩いたおかげで股関節の痛みがひどくなりヨチヨチ歩きの上、そろ~りそろりの抜き足差し足忍び足。
小声で話す会話に「え?」「え?」と聞き返し、まるで老夫婦になったかのようでした。

このような宿泊をしたことがなかったのでとても新鮮でしたし、まわりの方を気遣い行動を制限するこの心遣いは今の私には必要だったなと感じて感謝できました。

そんなシーーーンと静まるなか、隣の部屋からまさかの
「プシュッ!」
缶ビールを開ける音が響いたかと思うやいなや、今までボ~ッと寛いていた主人の目が大きく見開き、まるで歌舞伎役者でした。

食事を終え、夜の高野山に。今まで見たこともないとても幻想的な世界で素敵でした。
境内の核にあたる壇上伽藍(だんじょうがらん)本尊が胎蔵大日如来である大塔。

金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されている西棟では、少しだけ空いていたのぞき窓からそのお姿を拝むことができました。

宿坊についてすぐの晩のお勤めは薄暗い本堂での瞑想でした。
《高野山は寒かったのでもうストーブを焚いてくださっていて、その暖かさで、まさかの途中コックリさん現る現る》
だって、ほとんど寝ていなくて朝2時半起床、4時半出発だったんだもの。随分歩いて疲れたんだもの。薄暗かったんだもの…。あたたかかったんだも…の。みごとな条件が整いました。

そして気持ちよく目覚めた朝のお勤めは6時から。昨日とは変わって、お経を唱えるお勤めでした。

お勤めのあとは法師様が有難い不思議な3つのお話をしてくださいました。
ひとつ目は、娘さんが憔悴するお母さんを心配して伝えたお花のお話。
ふたつ目は、男の子が心を病みかけたママに伝えた作文のお話。
みっつ目は、息子さんがお母さんの夢枕で伝えた帽子のお話。

法師様は、「あの世はこの世にあるのではないか。亡くなったからといって消えてしまうものではなく、愛する人を想う気持ちはいつでもすぐそばにある。」とおっしゃっておられました。

どのお話も亡くなった方は、「今を生きる愛する人に、この世で笑っていてくれることを望んでいらっしゃる」というものでした。

こうして生きていると、嬉しいと感じることもたくさん。
辛く悲しくもう耐えられないと感じることもたくさん。
今のしんどさにもう投げ出してしまいたいと感じることもあるとおもいます。
今、大変な状況にいらっしゃり笑うことのできない方もおられると思います。

起こっていることは必然で意味があり、それは成長したり成熟したりするチャンスであるといいます。
大変な状況の時にはそんな風には思えなくて、前向きにとらえたり笑うことができにくいと思いますが、
人はみんな、幸せで在るためにこの世に生まれてきているといいますし、どんなことが起こっても必ず良い方に進んでいくそうですから、しんどいときこそ口角上げて深呼吸し心を落ち着け、笑顔でいようと思います。

そうすることで奇跡を起こしたり、幸せが訪れたり。
それは”法則”らしいので、私はそう信じて笑顔でいたいと思います。
”笑う”って、簡単なようで時に難しくもありますが、笑うことで起こる奇跡は、私たちの想像を遥かに超えていてとっても素晴らしいことのようです。

会社の社訓のひとつでもある「笑顔は幸福の基」
私も、家でも会社でもいつでも私が笑っていて、周りの方にも笑ってもらえるように在りたいと思います。
笑顔がくるくる回って循環して、アンミカさんがおっしゃていた「笑顔の観覧車」回し続けたいです。

大好きな方々との旅は心地よく、そして楽しくて、笑いが多く酸素が回らず酸欠状態に(笑)

家族や周りの方の幸せを願い、会社の繁栄とスタッフや協力業者さんの健康と皆さんへの感謝を想い、今の自分自身を見つめる修行の旅でしたが、私自身の心が喜びました♪私の魂が喜びました♪本当に本当に気持ちよく楽しかったです♪(#^^#)
こういう旅をスタッフと一緒にしたいな~~ってすごくすごく思いました。

それでは、12月のブログも最後までご覧いただきありがとうございました。
皆さまの2023年残す時間も楽しく幸せな気持ちを積み重ね、よき新年を迎えられますように。

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